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悔いだけは残したくないから
親戚の父親が亡くなったのはGWすぎた頃だった
親戚とも年に数回顔を合わせる程度の関係でしかなかったし
ましてそのお父さんとは2回くらいしか会ったことがなかったけれど
イロイロと義理とか立場とかあったりして
仕事を休んで両親と一緒に葬儀に参加してきたのを覚えている

8月を目前にして
仕事の合間にふとそろそろお盆だなぁ…と思い出し
葬儀にも参加したから初盆の供養にも行った方がいいのかな?と
両親に相談に行ってみた
.



すると
なんと父を亡くした親戚本人が初盆の供養に出ないらしいという話を聞いた
お盆の最中は和尚さんが忙しく予約がとれなかったみたいで
お盆の前に供養のお経を上げてもらうことになったらしいのだけれど
その日は用事があって都合が悪いとのこと
片道30キロ程度の実家に戻ることすら出来ない用事ってなんだろう?と
聞いてみたところ

「1年に1度会う友人との飲み会が入っている」

だそうで…

自分の父親が死んでその初盆の供養と…
1年に1度の友人との飲み会…
どっちが大切なんだろう?

供養をしたからといって亡くなった人にはもう思いは届かない
ならば生きている友人を大切にすべきだろうという考えもあるだろう

でもね
自分の父親の初盆の供養があるから
日付を変えてくれとかちょっと遅れるとか
そういうことが言い出せないような関係の友人と
果たして会う必要があるのだろうか
それは関係を続ける価値がある人間関係なのだろうか
父親の弔いをすっぽかしてまで会いに来たことを
果たして友人たちは喜ぶだろうか?
私には奇妙に思える


実を言えば私は供養は亡くなった人のためにやるとは思っていない
生き残った者のためにやるんだと思ってる
亡くなった人を弔うことで自分の心を安らかにするためだ
生前何もしてあげられなかったことや
若さゆえの暴言を吐いてしまったことや
生きている間にしておけばよかったと思うことを
弔うことで少しでも心を軽くしたりするため

もう取り戻せない時間を
もう取り消せない過去を
祈ることで浄化していくんだと思う


そして納得のいくまで祈って
故人への後悔や執着
ひょっとしたら恨み…そういうのが消えて
穏やかな愛だけが残り
心安らかに故人を思いだせるようになったとき
故人は無(ム)となり仏になったんだって納得できるんだよ きっとね

急性の難病で手の施しようがなく
発病から1週間足らずで亡くなってしまった親戚の父親
自分が死んでしまうことを受け入れる猶予すら与えられなかったんじゃないかな

なんだかとっても気の毒…



私は納得して鬼籍に入れるように
遣り残したことのないようにしておこう
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2008/07/30 01:12 | 雑記 | コメント(0) | Trackback(0) | pagetop↑
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